2013.1.2
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復活!CP/M ワンボードマイコンでCP/Mを!
CP/MがTK−80互換のワンボードマイコンの上で復活します
ND80ZVとMYCPU80の上でCP/Mが走ります

[第282回]


●WarGames(承前)

前回をお読みいただいたY様からメールをいただきました。
Y様は当時の業界に精通してみえて、とても詳しい事情をよくご存知です。
以下にいただきましたメールの一部を転載させていただきます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「WarGames」の記事を拝見しました。
私も大好きな映画で何回も見ました。
素人に解りやすくするために技術的に?の演出もありますが、細かい部分で感心するところがあります。

ハッカーの先輩に相談に行くシーンで当時の計算センターの中を歩いているシーンがありますが、 これが実にリアルです。
計算センターの一番奥にセンターの主のようで絵に描いたような「ハッカー」が居ます。
このハッカーの周りにはコンピュータのパーツなどが散らかっています。
顔つきからファッション、雰囲気まで当時のハッカーそのままです。
髭面で頭はもじゃもじゃ、Tシャツで机の下で寝ているような少し太めの風貌は完全にハッカーです。
ここまでよく演出したと感心します。

主人公は細めで頼りなさそうという、もう一種類のハッカーです。
面白いことに当時のハッカーは髭もじゃの太め系と青白い細め系に二分されます。
マイクロソフト社を2人で設立したポールアレン氏は髭もじゃの太め系、ビルゲイツ氏は青白い細め系です。

アップル社でApple1とApple2を設計したスティーブンウォズニアック氏は髭もじゃの太め系です。(スティーブンジョブズ氏はハッカーでは無いという評価です)
映画の中でスポーツ万能風のヒロインの女性が「泳いで逃げよう!」と声を掛けると「僕泳げない・・・」と応えてヒロインがダメだこりゃ・・・と落胆するのが記憶にあるハッカー的で面白いシーンです。

本物のNORADの内部は僅かですが写真で公開されています。
(WOPRは無いですが・・・)
この映画に出てくるNORADのセットは本物に似せて作られています。
NORADは核戦争時の司令部なので、当然、核戦争発生時は最初に核ミサイルで攻撃されます。
そのため、核ミサイルの直撃にも耐える構造に作られています。
核ミサイルの直撃を受けると数メートルの振幅でシャイアン山が揺れるそうで、それに耐えるスプリングや、ショックアブソーバーで建物を守っているそうです。
阪神大震災の振幅が50cmぐらいなので核ミサイルの直撃がいかに凄いかわかります。
逆に見ると、日本が世界一と思っていた耐震建築は振幅が50cmで簡単に破壊されたわけです。
阪神大震災の約10倍の揺れに耐える建物があり、その中の人やコンピュータが核ミサイルの直撃を受けた後も活動して反撃作戦ができるというのは凄いです。
阪神大震災の時に神戸地区の非常用発電機は台座からずれて壊れたり、燃料タンクが壊れて役立たなかったことを考えるといざという時のアメリカの力強さに関心します。

1979年から1980年頃にNORADの警戒システムが誤動作してソ連からの核ミサイル攻撃が発生したという誤警報を発したことが数回ありました。(3回発生したと言われている)
冷戦の最中ですから、そのときのNORADの現場の指揮官は相当緊張したと思います。
これは想像ですが、「WarGames」の公開は1983年ですから、NORADの警戒システムの誤動作事件と75年から80年頃のハッカーの電話ハッキング行為にヒントを得てこの映画のシナリオが書かれたのかもしれません。

因みに、写真でご紹介した私のIMSAI8080(菱田注記:[第271回]参照)も日本のとある映画に出演しています。
残念ながら、昔のことなので出演した映画のタイトルをどうしても思い出せません。
その映画の監督に有名な映画「WarGames」に出演したのと同じコンピュータだと説明したら凄く喜んでいたことだけ覚えています。
「WarGames」の公開後ですから1983年から86年ぐらいの事だったと思います。

Altair8800とIMSAI8080には供給能力の10倍以上の注文が舞い込み大繁盛しましたが、両者とも注文に対応した生産と会社運営が出来ずに身売りしたり破綻しました。
その後は、S−100バス系は、Cromemcos社、Northstar社、Processor Technology社が製品を供給して継続しましたが、8bitから16bitに移行したときにIBM PCの普及があり淘汰されました。
また、一般ホビーユーザーは、1978年頃から発売されたAppleII、PET-2001、TRS−80、ATARI800などのキーボード付きでTVモニター対応のBASICマイコンに流れたのでS−100バスシステムは、スモールビジネス向けの一部だけで利用されました。

という訳で、ハッカーがコンソールパネル付きのマイコンを入手できたのは、1975年のAltair8800発売、1977年のIMSAI8080発売から1979年ぐらいまでの極めて短い期間でした。
Altair8800は、殆ど供給できなかったので、IMSAI8080が3年間程度販売されたのが普及期間だったと思います。
たった3年間に彗星のように現れて、彗星のように消え去った感があります。
その後は、BASICマイコンから、IBM PC互換機時代に移り変わったのでコンソールパネル付きのマイコンは忘れ去られてしまいました。

今回のE-80プロジェクトは、この究極の見える化ができる「コンソールパネル付きのマイコン」を復活させて、かってのような腕利きの技術者を育てることが目的です。
「コンソールパネル付きのマイコン」で育った70年代の腕利きの技術者がその後も活躍していいて、Windows時代、スマートフォン時代には強烈な技術者の出現が少ないのは、究極の見える化でCPUの内部アーキテクチャから学んだ経験が70年代の技術者の習熟に影響しているような気がします。
アメリカの古参マニアが今でもIMSAI8080の復活を望んでいるのも「コンソールパネル付きのマイコン」の使用感が忘れられないからだと思います。
ミニコンや汎用機時代である40年前まで振り返っても、この究極の見える化ができる コンソールパネルの重要性は普遍だと考えています。
という訳でE-80ではコンソールパネルを実現して、次世代の技術者を育てたいと考えています。

今年は本気のデビューの年になりますのでよろしくお願いいたします。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私といたしましても、今年はいよいよ正念場ということで、E−80(仮称)ミニコン開発プロジェクトの総仕上げと、同時にND80ZV(ND80Z3.5)用CP/M互換DOSの完成に取り組む覚悟です。

ま。
そういう気持ちもありまして、本日はこれからお伊勢参りに行ってまいります。
当地名古屋からは近鉄特急で行きますのが一等便利なのでありますが、なにしろ車世代なものですから、渋滞を覚悟でやっぱり車で行ってしまいます。
最近の事情は知りませんが、おそらく朝出かけましてもひょっとすると本殿に参拝できますのは夕方ころかと…。
帰宅できますのは深夜になることも予想できますので、通常は夜遅くなってからのUPですけれど今回は例外的に午前のUPといたします。

ワンボードマイコンでCP/Mを![第282回]
2013.1.2upload

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