標準TTLだけ(!)でCPUをつくろう!(組立てキットです!)
(ホントは74HC、CMOSなんだけど…)
[第361回]

●連載第1回のコピーをいただきました

前回、ずっと以前に「トランジスタ技術」誌に連載記事を書いたときのことをお話しました。
こんな昔のことなど、誰も知らないでしょうねー、というつもりだったのですが。

「連載第1回の実物は、保存が悪いのでトップページが破れてしまって、お見せすることができません。ですから、第2回のコピーをお見せします」
ということを書きました。

そうしましたら、MYCPU80をご購入いただいた、YI様からメールをいただきました。
「私のスクラッププックもかなり古くなってますけれど、持ってますよ」
ということで、コピーを添付していただきました。

せっかくですから、ご披露させていただきます。

YI様は大学の先生です。ずっと以前からごひいきにしていただいています。
でも、こんな昔の記事までお読みいただいていたなんて、感激です。
YI様。あらためてお礼申しあげます。

メールには、
懐古にひたるのはまだはやい。もっと前を向いてがんばれ(ムチ)
というような、意味のお言葉が書いてありました。

こんな昔話ばっかりやっていると、そのうちほんとにふけこんでしまうかもしれない、とご心配いただいてのお言葉です。
お気にかけていただいて本当にありがとうございます。
いえ。大丈夫です。
まだ、ふけこんだりはしませんから。

いつもの調子で脱線しているようですけれど、ぼちぼち着地点も見えてきそうになりましたので、いましばらくご辛抱いただいて、昔話にお付き合いください。

で、すみません。また昔話の続きです。

●パニック、パニック…!

連載記事の効果もあって、仕事は順調、注文もさばききれないほどの忙しさが続きました。
ほんとに大晦日も正月も全部つぶして、朝から晩まで、仕事、仕事の毎日でした。

そんなときに突然に襲ってきたパニックでした。

ICが無い!

なんでしょうか。好景気だったのでしょうか。あるいはほかに理由があったのでしょうか。
市場から、ICが消えてしまったのです。

いつもの調子で仕入業者に電話で注文したら。
ありません。

いつ入荷するかもわからない、っていうんです。
うそっ!

当時、名古屋の真ん中、中区の大須には半導体を扱う小売店がいっぱいありました。
急いで店頭に行って確認してみると…。
ほんとに無い。
LSIでは8255。
じょーだんじゃない。8255がなかったら商売できないじゃないのー!

店の大将と内緒で交渉しました。
あんた。ほんとは隠してるでしょ。
それ。高くてもいいから、出しなさいよー。
あ。そら。そんなとこに隠してるじゃないの!

あ。これはだめ!まだほかのお客にも渡さなきゃならないんだから。って売ってくれません。
大将がメシ食いに行って、いないときに、店の番をしていた女の子に、
あ、そこのそれ、それね、ぜんぶ買うから、出して。

これはあとで、その店の大将にしつこくいやみを言われてしまいました。

そのうちテレビのニュースでも報道されるようになりましたから、あるいはご記憶の方もみえるかもしれません。
半導体部品が不足して、電機メーカーも製品を製造することができなくて、ラインが止まっている、などというニュースが流れたりしました。

とにかく正規のルートでは全く入手できません。
陰でブローカーが活躍しているようです。
あちこちいろいろ聞いてさがしまわっていると、
「ああ。それね。あるよ」
なんてところにぶつかります。

そりゃあ、もちろん、高い。
高いなんてもんじゃありません。
通常なら1個700〜800円で仕入れていたものが、5000円!(注)
もちろん1個が、ですよ。
それも最低50個でなきゃ売らない、って。
25万円じゃないのさ!ひどい!ひどすぎ!

今日中に返事して。アメリカだか南米だかの飛行場の貨物で、今押さえてあるから。
あー。キャシュでなきゃ、だめよ。

なんだ、これ。時代の先端を行く半導体だよ。まるで、ヤクの取引じゃないのさ。
買いましたよ。だって、そうしなきゃ、こっちも売るものがなくって、メシが食えないじゃありませんか。

(注) 8255のことではありません。これはまた別のLSIのおはなし。
8255がこんな値段だったら、もうワタシゃとっくの昔に廃業してたかも。

●新幹線に乗って、秋葉原まで買出しに…

やっぱ、名古屋にいたんでは、どうにもならない。限界です。
東京へ行かなきゃだめだろなー。
でっかいバッグを持って、新幹線に乗って行きましたよ。東京。秋葉原へ。

漫画みたいな話ですけど、これ実話です。
じょうだんじゃない。
本人は必死です。生活がかかっているんだから。

秋葉原へ何を買いに行ったのか?ですか。
もちろん半導体。でもLSIじゃありません。

TTLです。
これが一番ひどかった。
特定のbフゲートICがほんとに入手困難になってしまいました。

だから、秋葉原まで、新幹線に乗ってTTLを買いに行ったのです。
お目当ては、確か、74LS32だったと思います。
名古屋では、もうどこを探しても無い。
秋葉原でも表通りの大きい店はどこも在庫切れ。入荷待ちです。

こっちはそんなことは先刻ご承知。
そんなとこには行きません。
裏通りの奥まったところにある、いかにも胡散臭そうなビル。そこの地下へ降りていくとおばさんがひとりで店番をしています。

あのう。LS32、だけどある?

あるよ。
カウンタにどさっと10本くらいのレール(25個入り)が出てきます。

おお。あるじゃないの!
やっぱり、あるところには、あるもんだなぁ。

それ。ひょっとして、全部。もらっちゃって、いい?

いいよ。

ほんと!
…でも、いくら?

500円。

え。
500円って…。1個?

そう。1個。

た、高い…。
だって今まで普通の店売りだったら、せいぜい70〜80円くらいのものだよぉ。
ひどい!ぼったくりだあ。

さすがに躊躇していましたら、おばさん、せっかく出してきたレールをまた、ばさばさっとかかえて奥にしまってしまいそう。
買わないんだったら、とっとと、帰りなって、言っているような雰囲気。

ええ。買いましたよ。全部。
どーせ、新幹線代だってかかってしまっているんだから、この際、500円だって1000円だって、手に入ればいいのっ。

●なんと××製の74LS00が…

そんなあるとき、パーツ屋さんの店頭に、見なれない、ちょいと変わった雰囲気のICが置いてあるのが目にとまりました。
なんだかあずき色というか、もっと濃い濁ったトマト色とでもいう、なんとも形容しがたい色のIC。

これって、何?

なにって、それ、LS00。

う、う、う。気持ち悪い色だなぁ。
こりゃ、悪趣味だよ。いったい、メーカーはどこ?

あのね。内緒でいうけど。ソ連製。

ぶったまげたなあ。そんなの有りかあ。
いくら赤が好きだからって、TTLまで赤にすることはないでしょうに。

どう?使ってみる?

いや。遠慮しときます。

これほどひどい半導体不足はこのときだけでしたが、でもその後も何回か、突然特定のICが入手困難になるということを繰り返し経験しています。
中日電工などは、それほどたいした数の製品を作っているわけでもない、超零細企業ですのに、ずっと仕入れに苦しめられてきたように思えます(価格ではなく必要数量の確保に、です)。

☆☆☆TK80回路の操作説明の続きです☆☆☆

●MYCPU80(TK80回路)操作説明書 4章  プログラムのSAVE、LOAD

●1. はじめに

MYCPU80のRAMはボタン電池でバックアップをしていますから、RAMに書き込んだプログラムやデータは電源を切っても消えずにそのまま残っています。
しかし複数のプログラムをRAMに常駐させて保存するというのはあまり感心できる方法ではありません。プログラムが暴走したりすれば、プログラムもデータも一瞬で破壊されてしまいます。
MYCPU80は、パソコンとUSBケーブルで接続することによって、RAMにあるプログラムやデータをパソコンに送り、テキストファイルの形で保存することができます。
逆にパソコン上で8080アセンブラを使って作成したマシン語のプログラムをUSBケーブル接続でMYCPU80のRAMに送ることもできます。
USB接続によるパソコンとの間でのプログラムの送受信は、TK80モニタの機能によらなくても、RAMだけの場合でも先にブートプログラムを書いておくことによっても実行することができますが、TK80モニタの機能を利用する方がはるかに簡単で便利です。

ここではTK80モニタ機能を使った、プログラムのSAVE、LOADの方法を説明します。
なおDOS/Vパソコンには、USBシリアル変換ドライバのインストールが完了していて、USBケーブルでMYCPU80とDOS/Vパソコンが接続されており、RS232C送信および受信プログラムが起動できるように、DOS/Vパソコン上でDOSプロンプトが実行されているものとします。

●2.プログラムのSAVEの仕方

上に書いたように、あらかじめDOSプロンプトを実行してデスクトップ画面にDOS窓が表示されている状態にしておいてください。
またDOS/VパソコンとMYCPU80とはUSBケーブルで接続しておいてください。
MYCPU80のRAMのプログラムをDOS/Vパソコンに送る場合には、先にDOS/Vパソコン側の受信プログラムを起動させておきます。

●2.1 DOS/Vパソコン側の操作

DOS窓が開いている状態で、キーボードから次のように入力します。
受信したプログラムをTEST.HTXという名前でSAVEする場合のキー入力例です。
R232.EXEで指定したファイル名がすでに存在すると、新しいファイルで上書きしてしまいますから注意してください。
大文字でも小文字でもかまいませんが、必ず半角で入力してください(入力モードは「直接入力」にしておくのが確実です)。

R232 TEST.HTX[Enter]  ……[Enter]はEnterキーのことです
    ↑スペースを1文字空けてください

MYCPU80がUSBケーブルでパソコンに接続されていて、MYCPU80に電源が入っていると、次のように表示されます。

MYCPU80はCOM3に接続されました  (注)
送信を開始してください

(注)パソコンのハードウェア構成によって、COM3以外の場合もあります。
 
●2.2 MYCPU80側の操作

図4-1 の通りに操作して下さい。ここでは例として8000〜82FFの内容をSAVEすることにします。

@まずリセットして下さい。(リセットしなくてもよいのですが、慣れないうちは、こうしたほうが確実です)
ASAVE開始アドレス(この例では8000)をアドレス表示部にセットします。データ表示部には8000番地の内容が表示されます(ここでは3Eになっています)。
B続いてデータ表示部に、SAVE終了アドレスを入力します([WRINC]キーは絶対に押さないように!!) 。
C最後に[STORE]キーを押すと送信が開始されます。
送信中や送信が終了しても7セグメントLEDの表示は変化しませんが、MYCPU80回路のHLレジスタのLEDが送信中のアドレスをカウントアップ表示します。
送信が完了するとDOS/VパソコンのDOS窓に、

1546bytes recieved
end

のように受信バイト数が表示されるので、受信が完了したことがわかります。

●3. プログラムのLOADの仕方

さきほど説明したSAVEとは逆で、LOADの場合には先にMYCPU80の側を受信スタンバイにします。

●3.1 MYCPU80側の操作

LOADの操作は非常に簡単で、ただ[LOAD]キーを押すだけです(念のため先にリセットしてから[LOAD]を押したほうが確実です)。
[LOAD]を押しても7セグメントの表示は変化しませんが、MYCPU80回路のレジスタLEDの表示が固定しますから受信スタンバイになったことがわかります([LOAD]キーはすぐに離してください)。


●3.2 DOS/Vパソコン側の操作

デスクトップ画面にDOS窓が表示されている状態でキーボードから次のように入力します。
TEST2.HTXという名前のファイルの内容をMYCPU80に送信する場合のキー入力例です。

W232 TEST2.HTX[Enter]またはw232 test2.htx[Enter]

するとつぎの表示が出てただちに送信が開始されます。

MYCPU80はCOM3に接続されました  (注)

プログラムを送り終わると、以下のように表示されます。

send data 1546bytes
end

(注)パソコンのハードウェア構成によって、COM3以外の場合もあります。

TK80回路の7セグメントLEDには、受信しメモリに格納された先頭のアドレスと終りのアドレスが表示されます。

[注記1]
SAVE、LOAD終了後、アドレスが表示されている状態では普通のキー入力モードになっています。したがってこの状態ですぐにRUNキーを押せば、今SAVE(またはLOAD)したプログラムをただちに実行させることができます。またRDINCキーなど他のキーを使うこともできます(キー入力に先立ってリセットする必要はありません)。
なおSAVE、LOADの説明では、「プログラム」のSAVE、LOADということで説明してきましたが、プログラムでも単なるデータでも、扱いは全く同じです。

[注記2]
第6章 応用プログラム のOHAYO.HTXとSOUND.HTXはCDROMに入っていて、MYCPU80フォルダにCOPYされているはずですから、

W232 OHAYO.HTX[Enter]
W232 SOUND.HTX[Enter]

とキー入力することによってMYCPU80に送信し、ただちに実行させることができます。
2009.10.13upload
2009.10.14追記

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